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Rinのアメリカ高校留学・体験談 2年目 8ヶ月目|高校留学・体験談(日記)|交換留学・団体・ホストファミリー

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Rinのアメリカ高校留学・体験談 2年目 8ヶ月目

 

   私の町にも春がやってきました。外は真っ白な花を沢山つけた、綿菓子みたいな大きな木達が近所の一軒に一本ずつ大きく空の方へと立っています。ホストのパパが草刈りしたての緑色の芝生の上には、一面のタンポポが咲いています。ポカポカした気候の中で私は後一ヶ月で二年目の留学生活を終えようとしています。もうすぐ、高校を卒業するんだって、もう、何回もカレンダーの上を指で数えました。
今回のレポートでは、プロム(シニアがメインのダンスパーティー)の事と大学見学に言った事を書きます♪
去年に、留学プログラムを通して知り合ったタイからの友達が、彼女の学校のダンスパーティーに誘ってくれました。ホームカミングの、カジュアルなダンスパーティーとは違って、今回の”プロム”はもっとちゃんとした、おしゃれな、よく映画で出てくるようなダンスパーティーです。一番楽しいのが、友達とダンスパーティー用の長いドレスを買いにモールへ行くことです。もう店先にはこのシーズンだから、何処もかしこもいろんなおしゃれでカラフルなドレスが並んでいます。一つの店に入って、3人で一つの試着室を使って、気に入ったドレス全部を試着していって、、、気づいたらもう2時間以上もショッピングしていました。いろんな形と色のドレスがありすぎて、もう大変です。でもどれもかわいくて、なんかディズニーの中のキャラクターに慣れるような気分で凄くたのしかったです。最後には、私は黒と金色の好みのドレスが見つかったので、買う事になりました。高いのは何万円もして、きっとアメリカのティーネージャーはこの日のために、すごいお金を使うのも珍しくない。でも安くて買いやすいのもたくさんあります。ドレスを着る機会がほとんどない日本で、特に田舎で育った私だからアメリカのダンスなんて、何にも知ら無かった去年。二年目に入って、大体アメリカの文化を納得して来て、アメリカの友達なんかは、”りんめっちゃアメリカンになったなー”とか”お気に入りの日本人”とか言ってくれます。

ダンスは、都会のど真ん中のすっごくおしゃれなホテルで行われます。夜の7時くらいから真夜中の12時までです。夕方にそのタイの友達の家にいって、音楽をかけて、机の上にメイクアップの化粧品を広げて、髪の毛のアイロンをそろえて、準備を始めました。髪の毛を巻いて、全部自分たちで楽しんでして。マニキュアも塗って、ハイヒールも履いて準備完了!!!町の光が眩しいくらい光りだした頃、友達の車にのって、窓を開けて、叫んでノリノリでそのホテルまでドライブします。そのタイの子の通っている学校だから、みんな初めて見る友達でした。だけどすぐにみんなと仲良くなれて、もうふざけて最高の夜を過ごせました。綺麗なドレスをみんな着て、ハイヒールも履いてみんなが女優みたいでした。大きな白い机の上には沢山のキャンディーが並んでいました。ディナーは大きなステーキに、それからデザートはティラミス。DJが音楽をかけたら、みんな部屋の真ん中に集まってみんなクレイジーなくらい踊りだしました。もちろん女子はみんなハイヒールを脱いで、裸足で踊っていました。輪が自然に出来て、一人ずつ輪の真ん中に来て、ダンスを披露する面白い時間もありました。気づいたら、時間は夜中の12時を越えて、あっというまに最後の曲になってしまいました。本当に楽しい夜でした。新しい友達と、またいつか会う約束は叶うか分かりません。でも、この思い出は絶対に私の頭の中に一生残ります。2日後に腰に筋肉痛が来たのは、踊りすぎたせいです。おかげで、学校で変な歩き方になってしまって、友達からは猿みたいといわれます笑)

 

学校を休んで、5日間ルイジアナにある大学に見学に行く事になりました。私の住む町からは車で半日くらいかかる距離にあるので、飛行機で行くことになりました。ホストファミリーの知り合いの人の家にその間お世話になる事になって、凄く助かりました。人と人とのつながりって、凄いんだなって改めて思いました。その大学は以前にコーディーネータ(もうこっちで言うママみたいな関係の人)から薦められたアートの大学です。飛行場に一人で降り立って、知り合いの人が向かいに来てくれました。知らない所に一人で行くのはもう慣れました。行く前にテニスのコーチに一人で行くことを話したとき、コーチは”大丈夫か?”と心配してました。私は、”Don`t worry, I can count 1 to 10 in English. It`s gonna be alright.” って言いました。彼女は、麟ならじゃあ、大丈夫やなって笑っていました。さて、大学の中では一人のジュニアの子が、大学を車と歩きで案内してくれました。みんなもう大人で、私のようなちっぽけな日本人も、大学生ってちゃんと思われるのかな?と考えてました。行く前に用意していた、大学生活の質問、中国人のアートの先生は、全部一生懸命に答えてくれました。他にあった沢山の先生も生徒も、みんなが同じような質問をしてきました。なんでココに来たのか、なんでアメリカでアートをしたいと決めたのか、そして、今どう思っているのか、アメリカらしい質問をしてきました。アメリカでほぼ二年を過ごした私は、自分の言いたいことをはっきり言って、アピールする力を学んだので、もう英語でそういう話をするのはちっとも怖くなくなりました。アメリカに来て良かったと思うのはそういう場面でも、やっぱりな!と思います。この大学の授業料は他のアートの大学と比べたらものすごい安いです。特に留学生に対する授業料は3倍になる所が多くて、どれも私の家庭的には払える金額ではありません。まず、1年で500万円も払って、本当に最高の選択肢だったなんて、だれも言えないと思います。私は思ったより少しの奨学金しかもらえなかったので、まだこのルイジアナの大学に行くのかは、この見学が終わってから決めようと思っていました。キャンバス内で働けるし、この大学のガーデンも綺麗です。このルージアナの大学は規模がそんなに大きくなくて2000人くらいです。大学の毎日のスケジュールを聞いたら、1日に2科目くらいで、後はフリーだとか。いろんな人にあって、みんながみんなこの大学は楽しいよと言っていました。

もう5月が始まって、あと、3〜4ヶ月で私は大学生になります。日本での高校生活を3ヶ月で離れて、アメリカに来てもうすぐ二年経ちます。ここまで私を支えてくれたのは私の両親と友達の手紙と、それからこっちであったかけがえの無いホストファミリーと友達です。私が大学の事で困った時、母はスカイプで、”90%人生は分からへんのやから、どれが正しい道やとか、きめんでいい。あんたはしたい事がアメリカで見つけられて、母さんは嬉しい。”と励ましてくれました。アメリカに来た初めての年は、まさかココまでアートの世界に入って、大学に行きたいと思って、そしてこんなに自分の思う事を自信を持って話せるようになるなんて思ってもいませんでした。たまに、あの時こうすれば良かったとか後悔する事がありました。でも結局今思えば、どれもこれもが、今の私に繋がって、本当に人生って不思議で、それから楽しいんだなっておもいます。

何が待ってるか分からない私の人生に、私は自信を持って毎日楽しんでそれから夢を持って過ごしていきます。アメリカの凄さは、その自分の中の自分を見つけてくれる事だと思います。

 

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