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Rikuのフロリダ州(アメリカ)への高校生-留学-体験談 帰国後|高校留学ブログ日記

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Rikuのフロリダ州(アメリカ)への高校生-留学-体験談 帰国後

 

   私は、2020年の9月から2021年の7月までの10か月間、アメリカのフロリダ州で交換留学をした。今回は、この留学をしようとしたきっかけや留学中に学んだことを書きたいと思う。
留学に行こうと思ったきっかけは、学校の同期と一年後輩の友人だった。私は、2019年に学校で行われた留学説明会には参加していたのだが、留学なんて夢のまた夢だと思っていたし、大学でも行けるのではないかと思っていたので、その時は行くということは全く考えていなかった。ところが、去年の一月、その同期と後輩が留学に行くということを相次いで知らされ、詳しく話を聞くと、高校で留学に行くのと、大学で留学に行くのとは全く違い、高校での留学はいい経験になるのではないかと考えているということを聞いた。当時、中学三年生も終わりに近づいていて、勉強も部活も人間関係もいい加減になっていた私は、自分のたるみ具合を見つめなおすことが出来できるのなら、この機会に留学に行くのも一つの選択肢なのではないかと考えた。さらに、私は十年間中国に住んでいて、現地の事情は現地にいないとわからないということを、日本に帰ってきてから肌身で感じた。アメリカについての噂というか、ステレオタイプは昔から聞いていたが、やはり実情を聞かなければわからないなと思っていたのも理由の一つだ。
そんなわけで、3月に留学団体を決めたのだが、ここでまず大切なことを一つ学んだ。それは、決め事は焦らずということだ。高校交換留学を取り扱っている留学団体はいろいろあり、どれも魅力的なので、私は母親と一緒に説明会と面接をめぐってみることにした。すると、私は一団体目からとても気に入り、母に「ここにしよう!」と話した。ところが、母は「もう少しほかの団体も見てから決めたほうがよくない?」と答えた。その時は、納得がいかなかったが、2団体目、3団体目と回っていくうちに、ここのほうがもっと良い、こっちのほうが…というように、どんどん良い団体が更新されていき、結局三つ目の団体に決めた。3月は多くの留学団体の締め切りが迫っており、私は焦っていたのだが、急がば回れという言葉の通り、そういう時こそじっくりと考える必要があるのだなと感じた。
新型コロナの情勢不安により、ギリギリまで出発できるかどうかわからなかったが、その団体の計り知れない尽力のおかげで、8月31日に無事出発することが出来た。この時、羽田空港から出発したのだが、自分たちの便以外はほぼ欠航、空港のロビーもすっからかんだった。いかにコロナウイルスが観光業、航空業に大打撃だったのかを肌で感じた。ちなみに、アメリカまでは、アメリカン航空を利用したが、アナウンスの英語が何一つわからず、いきなり頭の中が不安でいっぱいになった。
テキサス州ダラスでの乗り継ぎを経て、8月31日の深夜にフロリダ州オーランド国際空港に到着した。到着後二週間の隔離を経て、現地の高校へ行った。高校の授業は、50種類くらいあるさまざまな科目の中から7つ選ぶというような感じだった。アメリカの科目選択は自由だという話は聞いていたが、思っていた以上に自由で驚かされた。必修の英語(English)、アメリカ史(US History)は確定として、ほかの5つを決めるのにだいぶ悩んだが、スクールカウンセラーと相談して、幾何学(Geometry)、化学(Chemistry)、写真(Photography)、ラテン語(Latin)、そして映画から見るアメリカ史(US History through Film)に決めた。初日からとても心配だったが、先生がみんな優しく、質問を聞いたら丁寧に教えてくれたり、課題を少し手伝ってくれたりと素晴らしい先生方だった。その後も、10か月にわたってものすごく丁寧に面倒を見てくださり、最後もいい成績で終わらせることが出来た。かなりの生徒を相手にする中でも、私とのコミュニケーションも欠かさずしてくださった先生方には本当に感謝している。
学校の授業のなかで、特にアメリカ史の授業は貴重なものだった。日本とアメリカの関りはせいぜいペリー襲来、ポーツマス条約、第二次世界大戦、戦後の70年間くらいで、中国との関係を見ればわかるように決してたいしたものではない。なので、アメリカの歴史について全く知らなったが、現地の授業を受けたことで、日本で習う日本史並みに細かい人名や、政策について学ぶことが出来た。また、日本では政府主導の経済復興として成功したとならっていたニューディール政策は、実際はわいろの横行した失敗した政策と語られていたり、冷戦中の出来事が日本で習ったよりもはるかに多く記述されていたり、日露戦争で日本が勝利したことが、日本が世界に認められるためにすごく重要な出来事だったと語られていたりして、現地の評価や日本の評価を客観的に考えることが出来て、とても良かった。やはり、物事は客観的かつ俯瞰的に見なくてはいけないのだなと感じた。
   学業の次に学校で気になることは、友達だ。コロナの影響で、前期は学内のイベントがほとんど中止になっていて、普段あまり人に話しかける勇気のない私はとても心配だったが、クラス内でグループワークをやったり、ちょっとしたことを話したりしているうちに、自然と友達ができ、だんだんとなじんでいくことが出来た。さらに、後期からは、学校のテニスチームに参加し、そこでも友達が、さらに試合を通して他校の生徒とも仲良くなれた。前期での反省を生かし、自分から積極的に話しかけに行ったことで、より多くの友達を作ることが出来た。
あたかも最初から友達がいたかのように書いたが、実は全くそんなことはなく、初日の昼は一人寂しく本来お昼を食べていいエリアではないところで食べていたのだ。ところが、二日目に同じところに行こうとしたら、学校の警備員の方にそこではランチを食べてはいけないといわれた。それがきっかけでその方とよく話すようになり、さらにその方とよく一緒にいる保安官の方二人とも仲よくなり、頻繁に世間話をするようになった。その後、警備員の方が話をつけてくれたことにより、本来お金を払わなければならなかったイヤーブックをタダでいただいたり、学校の最終日には、保安官の方からお手紙と折り紙をいただいたりした。あの警備員の方との会話がなければこんなことにはならなかったということを考えると、警備員の方、保安官の方に感謝の気持ちでいっぱいだ。

   さて、ここまで学校生活について書いてきたが、次にホストファミリーとの体験について書こうと思う。私のホストファミリーは六人の大家族で、子供は一番上が23歳、一番下が私と同じ16歳と年齢差もかなりあった。私は一人っ子で、兄妹のいる生活に興味があったので、これはとてもいい機会になると行く前からウキウキしていた。実際行ってみると、いつも誰かが家にいて、にぎやかで、自分の家族とはまた違った「家族」の在り方を知れた。特に、ホストファミリーは代々、シカをメインに銃を使った猟をする家庭で、実際に狩猟の瞬間を見られたことや、狩った動物を捌くのを手伝ったことは、ただスーパーで肉を手に取るだけでは感じることのできない、命の大切さ、自然の偉大さ、それらに感謝することを肌で感じさせてくれた。自分の家族とだけでは、日本では、体験できないようなことを体験させてくれたホストファミリーは本当に素晴らしい方々だった。
それから、一つ大事なことがあった。現地でコロナに感染したのである。きっかけは3月の中旬くらいに、家族でハンティング旅行に出かけたのだが、その際、三男が突然、具合が悪いと言い出し、熱と体調不良を訴えた。次の日も、症状が悪化するばかりだったので、家に帰ることにし、朝出発、昼過ぎには無事到着した。そこからさらに一家全員でPCR検査に行った。その結果、三男だけが陽性で、ほかの全員が陰性だった。しかし、そのさらに次の日に、私とホストファザーの具合が悪くなり、再び検査をし、陽性だったと判明した。コロナウイルスの症状は幅が広いが、私の場合はただの微熱とめまい、頭痛で軽症の部類だった。それが数日間続き、発症4日目にはほぼほぼ治った。とても不安だったが、すぐに治ったので、よかった。本当に、この時期に行ったからこそ出来た経験だと思うし、感染したこと自体は全くよくないが、感染したという事実はとてもいい経験だったと思う。
 最後に絶対に感謝しなければならない人々がいる。それは、僕の留学がうまくいくように、陰から一年間支えてくれた、日本とアメリカそれぞれの留学団体の方々、日本の学校の先生方、そして、私の両親だ。最初、私が留学に行きたいといったとき、全力で反対した父も、最初からずっと応援してくれた母も、ギリギリまで尽力してくださり、ビザの手配等留学に行けるようにしてくれた、BIEE、FLAGの団体の方も、成績証明書等の手配や自分との連絡に素早く丁寧な対応をしてくださった日本の先生方も、本当に多くの人が、私の留学を支えてくれた。

   これが、私が留学で経験したことだ。最初の目標はただ自分を見つめなおして、異文化交流もするという、なんとも楽観的な目標だったが、この留学生活でそれ以上のことを学ぶことが出来たと思う。まず、自分を見つめなおすという点では、精神的に自立するということから、自分の将来について考えるということまでできたし、異文化交流は、自分の知らなかった世界に触れることが出来て、世界は広いということを肌で感じることが出来た。それともう一つ、この留学に限らず、いろんな人の助けのおかげで自分は生活できているのだなーと肌で感じたし、その方々への感謝を忘れてはいけないということを学んだ。目標以上のことが経験できたので、この留学に行って正解だったと思う。
私は小さいころから飛行機が好きで、航空業界に漠然とした憧れがあった。特に、小学校4年生くらいからは、飛行機の到着と出発の際、飛行機の誘導、荷下ろしや荷積み、汚水入れ替え、機内清掃などを行う地上スタッフ、グランドハンドリングスタッフに強い憧れがあった。決して表舞台に出ることはないが、常に乗客が快適に過ごせるように陰ながら頑張っている、その姿は私のやりたいものそのものだった。しかし、この留学を通して、いろいろな仕事に触れた結果、職業についての視野の幅が大きく広がり、今何をやりたいかはまだ決まっていない。飛行機を開発するのも楽しそうだし、警察官、自衛官もやりがいがありそうで興味がある。どちらにしろ、私は将来、何か人の役につく仕事がしたいと思っている。仕事にはいろいろあるが、人の役に立つことが出来るとそのやりがいがますます大きくなり、自分のやっていることに誇りを持てると思うのだ。まだ明確には決めていないが、絶対に人の役に立つということを第一に考えたいと思う。

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